WEB NOVEL / STORY FILE 005

ゲームを愛するすべての人へ

もう一人の天才

第5話 横井軍平と宮本茂、二つの発想が出会う。
絵を描く若者・宮本茂が任天堂へ入社する。やがて横井軍平と組み、窮地のアーケードゲームから新しい英雄を生み出していく。

歴史小説1977–1981宮本茂ドンキーコングマリオ読了目安 7分

1977年・任天堂 社長室

京都の夏は、蒸し暑い。窓の外では、蝉が鳴いている。

——コンコン。

「失礼します!」

少し緊張した声が、社長室に響いた。

宮本茂、24歳。
大学を卒業したばかりの青年が、まっすぐ立っている。

向かいには、山内溥。
社長室の机に肘をつき、じっと宮本を見ていた。

「お父さんは元気か?」

唐突な質問に、宮本は一瞬、戸惑う。

「あっ、はい。父は元気です」

山内は、腕を組んで頷いた。

「お父さんにも言うたんやけどな」

目を細め、少し間を置く。

「うちは技術屋なら欲しいけど、絵描きはいらんで」

重たい言葉だった。

宮本はゴクリと喉を鳴らす。
——知っていた。

それでも宮本は踏み込んだ。

「絵描きというか、工業デザインを学んできましたので」

スッと持ってきた袋を開ける。

「ちょっと、見てください」

宮本は、机の上にそっと置いた。

——子供用のクロスハンガー。

木製の、シンプルな構造。
子供が自分でハンガーをかけられるよう、動物の形をしたフックがついている。

山内が手に取る。

「ほう……」

指でフックを動かし、軽く揺らす。

宮本の声は、落ち着いていた。

「子供にとって、片付けは退屈な作業です。でも、少しでも楽しくできれば、自然と身につくんじゃないかと」

山内は、フックをゆっくり戻しながら考える。

——発想が、これまでの技術屋とは違うな。

「……他には?」

宮本は、すぐにスケッチブックを開いた。

そこには、独創的なアイデアが詰まっていた。

——乗ると動物の鳴き声がする木馬。

——組み立て式の迷路ブロック。
——動きに合わせて変形する折りたたみ椅子。

どれも、ただのデザインではない。
「遊び」の要素が詰まっていた。

山内は、じっと見つめる。

「お前、絵描きやなくて、遊びを考えるやつやな」

——アイデアに、これまでにない独創性がある。
——柔らかい発想を持っとる。
——ソフト体質の人間やな。

山内は、ゆっくりとスケッチブックを閉じた。

「……おもろいかもしれん」

低く、呟くように言った。

「明日から来い」

山内は、それ以上何も言わなかった。

宮本は、深く頭を下げると、勢いよく立ち上がった。

「ありがとうございます!」

この青年が、宮本茂。

のちに、マリオというキャラクターを生み出す。

世界一のゲームクリエイター。その伝説の始まりが、1977年の夏、京都の任天堂社長室で生まれていた。

宮本の入社から、3年後 横井軍平 × 宮本茂 この2人の天才がタッグを組むことになる

1980年

山内は、社長室で腕を組んでいた。

デスクの上には、一通の報告書。
送り主は、アメリカ・任天堂現地法人の荒川實。

「このままでは、3000台が不良在庫になります」

山内はタバコをくわえ、じっと煙を見つめた。

アメリカに送ったアーケードゲーム。
鳴かず飛ばず。
このままでは、ただの鉄の塊だ。

「どうにかしてくれ」

切羽詰まった文面が、目に焼きつく。

(ゲームの内容を入れ替えるしかないな)

しかし——

「横井は、ゲーム&ウオッチの企画で手一杯やし……」

企画を任せられる人間が、いない。

山内は、椅子にもたれ、しばらく考えた。
ふと、ひとりの若い社員の顔が浮かぶ。

——宮本茂。

まだ入社3年目の、デザイナー。
パッケージやアートを担当してきたが、ゲームの開発経験はゼロ。

「……宮本くんにやらせてみるか」

ぼそっと呟く。

「まあ、横井をつけとけば、どうにかなるやろ」

宮本茂 × 横井軍平。

こうして、2人の男がタッグを組むことになる。

彼らのコラボレーションは、やがて任天堂を飛躍させる一本のゲームを生み出すことになる。

暗い作業部屋。
アーケードゲームの筐体が、ぼんやりと光っている。

画面の前に、横井軍平と宮本茂の顔が並ぶ。
2人は、真剣な目つきで、ゲームをのぞき込んでいた。

横井が、腕を組んで言う。

「アーケードゲームっていうのはな、どうやったらお客さんがもう100円入れたくなるかがポイントや」

宮本が頷く。

「もうちょっと!ってなる悔しさですね」

スケッチブックを開き、さらさらとペンを走らせる。
3人のキャラクターのイラストが浮かび上がった。

「今回使えるキャラクターがポパイです。
ポパイがいて、オリーブがいて……ブルートがいる」

宮本は、顔を上げる。

「100円入れたくなる悔しさを作るには」

ペン先で、オリーブの絵をトントンと指す。

「ブルートにさらわれたオリーブを、ポパイが助けようとする。
でも、何かに邪魔されて、助けられない。その悔しさ

ですかね?」

横井の口角が、クイッと上がる。

「そうそう!」

横井は、指をパチンと鳴らした。

「昔、ポパイのアニメでな、オリーブが建築現場みたいなところを夢遊病みたいに歩く場面があってな」

「あれ、ステージに使えんかな?」

宮本の目が輝く。

「いいですね!
建築現場だから、はしごを登って……あみだくじみたいに、登っていって……」

「そして、オリーブにたどりつくと」

横井が、ニヤリと笑う。

「何かに邪魔される、やな」

まるで、即興演奏がぴたりとハマるジャズセッションのように、二人のアイデアが絡み合っていった。

「その邪魔を、タイミングでクリアする仕組み……」

宮本は、またスケッチに手を伸ばす。

「……樽が落ちてくるとか、どうですかね?」

「パッと見て、何をしたらいいのかがわかりやすいほうがいいと思うんですよ」

「目的が一目で見えて、失敗したら、くやしいって思えるように……」

横井は、宮本のスケッチをじっと見つめた。

——宮本、センスあるな。

横井が、ふと顔を上げる。

「筐体には、ボタンあったんやったな」

もともと、この筐体にはシューティングゲームが入っていた。
だから、スティックとボタンが最初からついている。

宮本が、目を輝かせた。

「ジャンプで飛び越えたくなりますよね!」

横井が、面白そうに頷く。

そのとき——

バンッ!

ドアが勢いよく開いた。

「大変です!」

焦った顔の社員が、駆け込んでくる。

「今、連絡があって、ポパイの版権が下りずに使えなくなりました!」

宮本が、スケッチブックを持ったまま、固まる。

「ええーー!」

立ち上がり、頭を抱えた。

「せっかく、ここまで企画はできてるのに……」

アイデアは完璧だった。
しかし、肝心のキャラクターが使えない。

さて、どうする?

横井は、顎に手を当てながら、ゆっくりと言った。

「……ほな、新しいキャラを作るしかないな」

開発は佳境に入っていた。だが、主人公が消えた。

宮本はスケッチブックをめくる。
鉛筆の芯が、カリカリと音を立てる。

横井が腕を組んだ。

「ゲームの構造は変えずに、キャラクターを変えるしかないな」

宮本はスケッチブックに視線を落とし、静かに頷いた。

「じゃあ、ブルートをゴリラにして、ドンキーコング」

鉛筆が走る。大きな体、力強い腕、どこか愛嬌のある表情。
悪役なら、シンプルなほうがいい。

「オリーブはお姫様」

宮本の線は迷いなく、流れるように動いた。

——問題は、ポパイだ。

鉛筆の動きが止まる。
スケッチブックの上で、宮本の指が小さく跳ねた。

「ポパイは……」

宮本は再びペンを動かした。

「まず、大きな鼻のほうが、ドット絵で再現しやすいから」

丸い鼻が、ぽつんと描かれる。

「ヒゲを描けば、口は描かなくていい」

鼻の下のヒゲが、キャラクターに命を吹き込む。

「髪の毛の表現は難しいから、帽子をかぶせちゃえばいいかな」

ペンが走る。
キャラクターの頭に、小さな帽子が乗った。

宮本は少し離れて、スケッチブックを眺めた。

——いい。

横井が覗き込む。

「おっ、ええやん」

宮本は、少し笑った。

ここに、任天堂の顔となるキャラクターが誕生した。

その名は、まだない。

だが、彼はマリオになる運命だった

第5話 終次回は「家庭の真ん中へ」。市場崩壊の不安を越えて、山内溥は家庭用ゲーム機へ踏み出す。横井の設計思想と宮本のソフトが、ファミコンの時代を開く。