ゲーム&ウオッチの閃き
そんなある日——
横井は、新幹線の座席に深く座り込み、疲れた目で窓の外を眺めていた。
——トンネル。
窓の外が、漆黒に染まる。
(またか……)
長い長いトンネル。
「会社も、俺も、出口の見えん真っ暗な場所にいるようや……。」
電車の揺れに身を預けながら、ふと見た。
「……ん?」
向かいの席のビジネスマンが、暇そうに電卓のボタンをポチポチ押していた。
「計算もせずに、ただ押してる……?」
横井は眉をひそめた。
「何してんのやろ……?」
ビジネスマンは、指先で電卓のボタンをいじり続けている。
その景色が頭に残っていた。
運転手・横井軍平
その日、たまたま山内の運転手が休んだ。
「左ハンドルの車を運転できる奴は?」
「横井なら、できますよ。」
ただそれだけの理由で、横井軍平は1日限りの運転手になった。
乗り込んだ車は、キャデラック。
ゆったりとした革張りの後部座席に、山内が座る。
エンジンをかける。
「行きましょか。」
横井はハンドルを握り、車をゆっくりと発進させた。
しばらく無言。
街の景色が流れる。
信号待ち。
ふと、横井が口を開いた。
「この前、新幹線で暇つぶしに電卓で遊んでるサラリーマンを見かけたんですわ。」
山内が、新聞をめくる手を止める。
「ほう?」
「ずーっと、ピコピコと数字をいじってましてね。数字を並べては消して、また押して……。」
「ふん。」
「ゲームみたいに。」
横井は、アクセルを踏みながら言った。
「小さな電卓のようなゲーム機をつくったら、おもしろいと思うんですけどね。」
山内が、ちらりと横井を見る。
「電卓のゲーム?」
「ええ。今までのおもちゃは、大きくして高く売るのが普通でした。でも、電卓みたいな薄くて小さいゲームなら……」
横井は、ゆっくりとハンドルを切る。
「我々みたいなサラリーマンでも、ゲームしていても周りにバレないじゃないですか。」
山内は、新聞を畳み、窓の外を眺める。
「……ふんふん。」
あまり興味がなさそうな返事だった。
横井は、苦笑する。
「まあ、ただの思いつきですけどね。」
車は、目的地のホテルに滑り込むように停まった。
ドアマンが駆け寄る。
山内が降りる。
「ありがとうな。」
この日の何気ない会話が、後に世界を変えるゲーム機の発明につながるとは、
この時、誰も気づいていなかった。
重厚なシャンデリアの灯りが、ホテルの大広間を柔らかく照らしていた。
経営者たちの低い声が、ワイングラスの触れ合う音に混じって響く。
山内は、ふと足を止めた。
「ほう、けったいなもんやな」
広間の中央に、大きな円卓が並んでいる。
名札が置かれたテーブルの中、山内は自分の席を探した。
——ここか。
適当に腰を下ろし、前に置かれたグラスの水をひと口飲む。
と、その隣の席から、穏やかな声がした。
「任天堂の山内社長ですね」
顔を向けると、シャープの佐伯保が微笑んでいた。
「これはこれは、シャープさんでしたか」
経営者会合の場とはいえ、席の並びは偶然だ。
広い会場の中で、たまたまこの席に座った。
「どうも。最近、御社の新しい玩具、拝見しましたよ」
佐伯が言う。
山内は軽く肩をすくめた。
「うちはまだまだですわ。シャープさんは今や電卓で世界一ですな」
「ええ、おかげさまで」
佐伯が笑う。山内はグラスを置いた。
「これだけ量産してたら、製造コストはかなり安くできてるんですかね」
佐伯は少し考え、頷く。
「そうですね。技術の進歩もありますが、規模が大きくなってますから、製造コストはかなり下がりましたね」
「いや、さっきうちの開発のおもろいやつがね」
山内は、笑みを含みながら言った。
「電卓サイズのゲーム機ができたら、おもしろいんちゃうか——とか言うてましてな」
佐伯の目が、わずかに細くなった。
「……電卓サイズのゲーム?」
「電卓みたいに小さくて、手軽に遊べるもんがあったらいいとかなんとか」
佐伯は、しばらく考え込んだ。
グラスの中の氷が、カランと小さく音を立てる。
「……いや、それは面白いですね。いまならかなりお安く、量産もできますし」
山内は口の端を少しだけ上げた。
「そうですか」
数日後
任天堂本社のエントランスに、革靴の音が次々と響いた。
何人ものスーツ姿の男たちが、静かに歩を進める。
受付の女性が軽く会釈をする。
「お待ちしておりました」
彼らは互いに目配せをしながら、廊下を進んだ。
社内の空気が、いつもと違うものに変わっていく。
シャープの人間だ。
社員たちが、そっと視線を送る。
一体、何事なのか。
山内は、会議室の椅子に深く腰掛け、指先でタバコを転がしていた。
目の前には、スーツ姿の男たち。シャープの技術者たちだ。
机の上には、一台の電卓が置かれている。
小さく、軽く、無駄のないデザイン。
山内は灰皿にタバコを押し付けると、ゆっくりと口を開いた。
「横井を呼んでくれるか」
「……はい?」
横井軍平は、開発室で図面を広げていた手を止めた。
顔を上げると、社員が申し訳なさそうに言う。
「社長が呼んでます。会議室に」
会議室?
横井は少し首をかしげながら、立ち上がった。
社長に呼ばれること自体は珍しくない。
だが、会議室となると話は別だ。
重いドアを押し開ける。
そして、驚いた。
スーツの男たちが、ずらりと並んでいた。
緊張感のある空気。
誰もが真剣な表情を浮かべている。
「……え?」
横井は思わず足を止めた。
山内が、ゆっくりと視線を上げる。
「横井くん」
声が静かに響く。
「電卓サイズのゲーム機なら、シャープさんが得意なわけだから」
山内は、ゆっくりと口角を上げた。
「協力して作りなさい」
横井は、テーブルの上の電卓を見た。
小さな画面、ボタン、そして……電卓の技術。
——なるほど。そういうことか。
横井は一度、息を飲んだ。
そして、にやりと笑った。
「おもしろいですね」
この一言から、ゲーム&ウオッチの開発が始まった。
ゲーム&ウオッチの発想
横井軍平は、スケッチブックを開いた。
机の上にはコンパスと定規。
鉛筆を持ち、カチカチと回しながら考える。
「サラリーマンのヒマつぶし……」
つぶやきながら、ページに線を引く。
コンパスで円を描き、定規でボタンの位置を測る。
「ボタンは……右と左、これだけでいい。」
シンプルに。
パッと、すぐ遊べるもの。
電車の中でも、デスクの上でも、できる遊び。
「時間を忘れて夢中になれるもの……」
数字を使う?
鉛筆を止め、考え込む。
「いや、もっと直感的な遊びがいいな。」
球を落とさないように、続ける?
「そうか、続ける……」
ペンが走る。
「続けるほど、スピードアップ……!」
試しに円の中に、小さなボールの軌道を描く。
跳ねるボール。
左右のボタン。
ボールを受け止め、落とさないように——ただ、それだけ。
だが、それだけでいい。
「……おもろい。」
横井は微笑んだ。
ページをめくり、アイデアを書き込んでいく。
「ボールを落とさないキャラクターは……」
「こんな小さな液晶や、凝ったデザインはいらんな。」
ペン先が紙を滑る。
目の代わりに、点を二つ。
口を描くのはやめた。
シンプルに、顔の向きを表すなら
「鼻でええな。」
三角の鼻を描く。
ボールの動きに合わせて、キャラクターの腕が上下する。
まるで、必死にお手玉を続けるように。
「……おもろいやないか。」
横井は微笑んだ。
キャラクターが生き生きと動いているように見えた。
「遊びの形になってきたな。」
試作品ができた。
横井は、小さな液晶画面を見つめる。
左右のボタンを押すたびに、キャラクターの腕が動き、ボールを跳ね返す。
「……ええやん。」
試しに、隣の社員に渡した。
「ちょっと触ってみて。」
「ほう、どれどれ……」
カチ、カチ。
ボールがポン、ポン、とリズムよく跳ねる。
「お? ……おぉ!? あかん、落ちる落ちる! おおおおっ!」
社員の指が、夢中でボタンを押す。
気づけば、後ろに別の社員が並んでいた。
「ちょ、もうちょいだけや!」
「そろそろ代わったらどうや〜」
気づけば列ができ、笑い声が絶えなかった。
「おいおい、これ、会社やぞ……」
昼休みの終わりが近づいても、誰も席に戻らない。
時計の針が進んでいることにも気づかない。
横井は腕を組んで、それを眺めていた。
誰もが、ただボールを落とさないように集中している。
ボタンを押すだけ。
それだけの遊び。
なのに。
「……時間、忘れるやろ?」
横井は、ニヤリと笑った。
社長室の机の上に、小さな試作品が置かれた。
「ほう、これか。」
山内が試作品を手に取る。
横井は黙って頷いた。
液晶の中、キャラクターが動く。
「ボタンを押すと、左右の腕が動きます。」
横井が説明するまでもなく、山内の指が自然に動いた。
カチ、カチ。
ボールがポン、ポン、と弾む。
最初はゆっくり。
だが、続けるほどにスピードが上がる。
「おっ……おっ……!」
山内の目が、画面に釘付けになった。
ボールを落とすまいと、指がリズムよく動く。
肩がわずかに揺れ、体ごとゲームに引き込まれていく。
——ポン、ポン、ポン。
「アカン!!」
ついにボールを落とした。
液晶の中のキャラクターが、小さく肩を落とす。
静寂。
山内は数秒、画面を見つめ——ふっと笑った。
「……ええやないか。」
横井は、安堵の息をついた。
よかった。
通った。
だが、山内は間を置かず、さっと続ける。
「どうせやるなら、2つか3つ、同時に出したらええやろ。」
横井の目が丸くなる。
「えっ?」
「あと2個、頼むわ。」
山内は試作品を横井に押し戻した。
「お前なら、できるやろ?」
横井は試作品を見つめた。
手のひらの中で、キャラクターがじっとこちらを見ている気がした。
「……やるしかないな。」
横井は、夜の開発室でペンを走らせた。
試作品の液晶画面を見つめながら、考える。
「あと二つ……」
山内の言葉が頭の中で響く。
シンプルな遊びでいい。
だが、夢中になれるもの。
山内の言葉を思い出していた「ルーツを探れ、そこに答えが見つかる!」
ふと、子供の頃を思い出した。
時間を忘れる遊び。
「これや……」
横井はスケッチブックをめくった。
旗揚げゲーム。
キャラクターが指示を出し、プレイヤーがボタンで対応する。
「間違えたら即アウト、シンプルでええな。」
もぐらたたき。
次々と現れるもぐらを、素早く叩く。
「反射神経を試す、これは熱中するやろ。」
どちらも、画面の中で完結する。
単純で、けれどやめられないゲーム。
「でも……」
横井は、試作品の裏側を眺めた。
「もうひと押し、何か足したい。」
ゲームだけではない、実用性。
ふと、時計が目に入る。
——いつの間に、こんな時間や。
「せや、時計つけたらええんちゃうか?」
横井は、手元の設計図に「ウォッチ機能」の文字を書き込んだ。
「これなら、ゲームで遊ばないときも、時計として使える。」
子供が買ってもらう口実にもなる。
翌朝。
山内にアイデアを見せた。
「ほう、時計付きか。」
山内はスケッチを見つめ、指でトントンと机を叩く。
「遊びだけやったら、親に怒られる。でも時計なら持たせてもらえる……うまいな。」
「これで行こ。」
1980年、ゲーム&ウオッチが発売された。
小さな液晶画面。
シンプルなゲーム。
そして時計機能。
最初は玩具店に並んだ。
子供たちが群がる。
「お母さん、時計やで! 勉強にも使えるで!」
親は、「時計なら」と財布を開く。
サラリーマンも興味を示した。
「電車の中でちょっと遊べるな。」
「会議中でも、時計としてなら許されるか。」
発売直後から、飛ぶように売れた。
デパートの売り場で、店員が叫ぶ。
「本日分、完売です!」
追加発注の電話が鳴り止まない。
街を歩けば、誰かが手に持っている。
バスの中、駅のホーム、公園のベンチ。
皆、画面をじっと見つめ、ボタンを押している。
——新しい遊びの形が、生まれた。
横井は新聞を広げた。
「新感覚の電子玩具『ゲーム&ウオッチ』が空前のヒット」
開発室の窓から、街を見下ろす。
子供も、大人も、ゲームに熱中していた。
「……おもろいもんは、売れる。」
横井は、静かに笑った。
——任天堂が、まったく新しいマーケットを作ってしまった。
1980年に発売されたゲーム&ウオッチは、瞬く間に世の中に広がった。
最初は「電子ゲーム」としての評価だったが、蓋を開けてみれば、これはもう「新しい文化」だった。」
国内で1300万台。
世界で4800万台。
8年間で、ゲーム史に残るモンスター商品となる。
この大ヒットにより、任天堂は50億円とも言われた負債を完済。
さらに40億円の貯金を作ることに成功する。
売上の推移は、もはや異常だった。
1980年 156億円
1981年 230億円
1982年 575億円
工場を担当したシャープも、工場を増設し、急成長。
すべては、あの日の偶然から始まった。
山内の運転手が、たまたま休んだ。
外車に慣れた横井が、社長の運転手を務めることになった。
車内での何気ない会話。
目的地の会合。山内の隣に座ったのは、シャープの佐伯社長だった。
ほんの些細な出来事。
だが、その偶然の連鎖が、モンスター商品の誕生につながった。