WEB NOVEL / STORY FILE 006

ゲームを愛するすべての人へ

家庭の真ん中へ

第6話 任天堂は、家庭用ゲーム機にすべてを賭ける。
市場崩壊の不安を越えて、山内溥は家庭用ゲーム機へ踏み出す。横井の設計思想と宮本のソフトが、ファミコンの時代を開く。

歴史小説1983–1985ファミコン十字キースーパーマリオ読了目安 14分

転換期の迷い

開発課の机は、以前とは違う雰囲気になっていた。
試作品で溢れかえっていた頃とは違い、今は資料の山。
企画書、販売戦略、予算案——紙の束が横井軍平のデスクを占領していた。

「……手ぇ、動かしてへんな」

ぽつりと呟いた。
かつては、毎日が試作の連続だった。
ウルトラハンド、ウルトラマシン、ラブテスター——
作業机の上には、常に何かしらの部品が散らばり、はんだの匂いが漂っていた。

だが、今は違う。

「プロデューサー、か……」

横井は、指先でボールペンを回しながら天井を仰ぐ。
会議、報告、調整……最近はそればかりだった。
自分で手を動かす時間は、ほとんどない。

「これで、ええんか……?」
自分の役割が変わったことは理解している。

「ものづくりしてへん、気がする」

企画書を見つめる自分。
数字とグラフばかりを気にする毎日。

「……おもろいもん、作れてるんか?」

横井は、ボールペンを机に置いた。
その音が、妙に大きく響いた。

山内の沈思

その頃、山内溥は静かな部屋にいた。
明かりを落とした社長室。
薄明かりの中、碁盤の前に座り、静かに石を打っていた。

パチン——

黒石を打った音が、静寂を切り裂く。
その顔には、険しい表情が浮かんでいた。

「ゲーム&ウオッチは、ヒットした」

ポツリと独り言を呟く。
薄い煙草の煙が、ゆっくりと天井へ昇っていく。

「ドンキーコングも、売れてる」

1981年、ドンキーコングの登場は、世界を変えた。
アーケードゲームの市場に、任天堂の名前を刻んだ。

だが——

「こんなんだけで、大丈夫なんか?」

山内の目は、碁盤の石を見つめていたが、心は別のところを漂っていた。
アーケードゲームは確かに儲かる。
だが、ゲームセンターが買ってくれなければ成り立たないビジネス。

「また、オイルショックの時みたいなことがあったら」

山内の頭をよぎったのは、レーザークレーの記憶だった。

「もう、あんな思いはしたない……」

山内は静かに煙草をくゆらせた。

「このまま、アーケードゲームでいくか……」

ポツリと呟き、白石を打つ。

パチン——

碁盤の上では、黒石が白石に包囲されていた。
自分の置かれた状況と、どこか重なって見えた。

「いや……」

山内は眉をひそめた。

「いつもいつも、新しいもんを出していかな、生き残れん」

静かに呟いた声は、まるで自分自身に言い聞かせるようだった。
山内は、碁盤の上の石をじっと見つめていた。

「……家庭や」

ふと、言葉が漏れた。

「アーケードゲームやない、家庭や」

山内の目が、鋭く光った。

「テレビゲームや……」

碁盤に置いた黒石の一手——
それが、任天堂の次なる大勝負の幕開けだった。

翌日。

山内は、役員会議の席で静かに言った。

「次は、家庭用や。」

その言葉に、部屋の空気が一変した。

任天堂の新しい時代が、始まろうとしていた。

役員会議の空気は、重かった。

資料を広げた常務が、眉をひそめながら声を上げる。

「社長、無茶です。せっかく倒産の危機を免れたのに……」

声は低いが、明らかに焦りが混じっている。

「家庭用ゲーム機なんて、今は火中の栗ですよ」

役員たちも、次々と頷く。

一人が口を開いた。

「アタリ2600を見てください。アメリカであれだけ売れたのに——」

そう言って、分厚いレポートをめくる。

「粗悪なゲームばかりが出回り、『テレビのゲームはつまらない』というイメージが定着してしまいました。ユーザーの信頼は完全に失われています」

「その結果、アタリの売り上げは急速に落ち込み、家庭用ゲーム市場は今、崩壊寸前です」

重苦しい空気が、会議室を包み込んだ。

「家庭用ゲームに、もうマーケットは残っていませんよ」

静寂。

だが、その中で——

「いや、ある」

山内の低い声が、部屋に響いた。

静かだった部屋に、一気に緊張が走る。

山内は、椅子に深く腰を下ろしたまま、腕を組んだ。

「アタリがあかんかったんは、粗悪なゲームを出し続けたからや」

「それに、あれはハードだけ売って満足してしもた」

「任天堂は、違う」

「……なら、まずは市場調査をしましょう」

別の役員が口を挟んだ。

「今、アメリカでは市場調査を元に戦略を立てるビジネスが進んでいます」

「ユーザーの声を聞き、ニーズを把握してから動いた方が——」

パチン

山内が、渡されたファイルをテーブルに叩くように置いた。

「市場調査?」

山内は、静かに笑った。

「市場調査なんてしてどうすんねん」

「任天堂は新しいマーケットを、創造するんや」

「そんなもんで、新しいもんは生まれへんで」

山内は、鋭い目で役員たちを見渡した。

石畳が濡れていた。

雨は止んでいたが、雲はまだ遠くに残っている。小さな傘をたたみ、山内は墓前に立った。

静かな寺の裏山。春の気配はまだ浅い。

「……久しぶりやな」

目の前の墓石に向かって、そうつぶやいた。

線香に火をつける。手を合わせる。

その姿は、どこか落ち着きがなかった。

「生き残るいうのは、つらいもんやな」

かすれた声が、空に吸い込まれていく。

「生き残ろ思たら、変わらなあかんのや。ほんま、そう思うてるんや」

墓石の文字を、そっと見つめる。

目を閉じた。

「レーザークレーは……失敗やった」

「でもな、狙いは間違うてなかったと思てる」

手のひらを、静かに握る。

「ただ、運が味方してくれんかった。それだけや」

遠くで、カラスが鳴いた。

山内は顔を上げる。

「次は、家庭用ゲーム機や」

風が、スーツの裾を揺らす。

「やるだけのことは、やる。精一杯やる」

「あとは、運を天に任せる。せやろ?」

線香の煙が、まっすぐに空へと昇っていった。

「……やれることは、他にないか」

誰に言うでもなく、ポツリとつぶやく。

「横井か」

ぽつり。

「横井なら」

少し、口元がゆるむ。

「ほな、行くわ」

山内溥は、背筋を伸ばして立ち上がった。

山道の先に、少しだけ陽が射していた。

横井軍平は、忙殺されていた。

開発課のデスクの上には、申請書とスケジュール表。企画書に目を通す暇もなく、次の打ち合わせの資料が届く。

「横井さん、この新作の仕様、どうしましょう?」

「あ、あとアメリカ向けの販促案も確認お願いします!」

次から次へと飛び込んでくる案件に、応対しながら、ふと手帳をめくる。

——空白がない。

「……これはアカンな」

自分の手でモノを作っていた頃の“あの感覚”は、もうしばらく遠ざかっている。

だが、それでも横井は断らなかった。

「全部、大事な仕事や」

電話が鳴る。誰かが呼ぶ。

「横井くん」

背後から、低い声がした。

横井は、振り返る。

そこにいたのは——

「……社長?」

山内だった。

スーツの裾には土がついていた。どこかから、急いで来たのだろう。

「家庭用ゲーム機、やる」

「はい」

「開発は進んどる。けどな」

山内は短く言った。

「助けたってくれ」

その一言に、横井は目を見開いた。

「……わかりました」

「量産やからな」

横井はつぶやく。

設計図を見ながら、腕を組んだ。

「複雑にしたら、あかん」

目の前にあるのは、試作段階の家庭用ゲーム機。まだ形も定まっていない。

「組み立てに時間がかかったら、ラインが詰まる」

「部品が多すぎたら、歩留まりが悪くなる」

彼の頭には、ウルトラマシンの記憶が残っていた。

「あの時は、バットを伸び縮みさせて、箱のサイズを減らしたんや」

「工場のラインもシンプルにした」

だから売れた。だから数が出せた。

「今回も、やれる」

横井は、目を輝かせた。

ファミコン本体のデザイン

グレーの粘土を手に取る。

「この大きさやと、子供が抱えて遊べる」

「赤と白……いや、ワインレッドに近い色やな」

「“家電”やのうて、“道具”として置けるデザインや」

横井は机の上に手をついて、ふうと息を吐いた。

久々の、真剣なモノづくりだった。

「……やっぱり、楽しいな」

笑みが漏れる。

だが、問題が一つあった。

「ジョイスティックは……使えへん」

コスト、耐久性、スペース、全てにおいて厳しい。

「なら、どうする?」

横井は、以前開発したゲーム&ウオッチを思い出した。

「十字キー……あれを使えるかもしれん」

上下左右の指示を一本のパッドで操作する。操作性も、反応も申し分ない。

「これなら、誰でも簡単に遊べる」

「……よし」

ファミコンのコントローラーに、十字キーが取り付けられた瞬間だった。

それは、小さな発明だった。

発売前夜

その部屋には、特別な空気が流れていた。

テーブルの上に置かれた試作品。赤と白の本体。コードが伸び、ブラウン管テレビにつながっている。

ファミリーコンピュータ。

横井軍平は、後ろで腕を組んでいた。

「……ほな、始めてみよか」

子供たちが集められていた。社員の家族、近所の少年たち。みな、緊張した顔でコントローラーを握っている。

「ボタン、これとこれな。動かすのは、ここ」

横井が指を差す。

——十字キー。

初めて触れる子供の指が、ゆっくり自然に動く。

画面の中のキャラクターが、スッと走った。

「こっちもいけるんや!」

「ジャンプ!」

夢中になって、笑い声が広がる。

横井は、そっと背後の山内を見た。

「……いけますね」

山内は無言でうなずいた。

テレビの中で、音が鳴る。ピコッ、ピコン。

「もうちょっとや! あーっ、やられた!」

「あははっ、お前どんくさいな!」

「もう一回、もう一回やらせて!」

何度も何度も、リセットボタンが押された。

子供たちは飽きなかった。

「やっぱり、“遊び”ってのはすごいな」

横井がつぶやくと、山内は低く答えた。

「これは、売れるで」

ファミコン発売日

1983年7月15日、東京。

朝から、長蛇の列ができていた。

おもちゃ屋の前。デパートのゲーム売場。人、人、人。

大人も、子供も、並んでいた。

「ファミリーコンピュータありますか!?」

「すいません、予約分でいっぱいで……」

開店と同時に、箱が飛ぶように売れていく。

赤と白のパッケージが、どんどんレジを通る。

——任天堂、家庭用ゲーム機市場に初参戦。

京都、任天堂本社。

山内は、静かに出荷報告書をめくっていた。

「初日で完売の店舗が……東京、大阪、名古屋」

「生産、間に合わんのちゃうか?」

横井が苦笑まじりに言う。

山内は笑った。

「嬉しい悲鳴やな」

まだ油断するな。

売れたのは“最初の一歩”。勝負は、これからだった。

テレビのニュースが報じた。

「本日発売された任天堂のゲーム機“ファミリーコンピュータ”が、各地で即日完売となりました」

「新しい遊び方として、子供たちを中心に注目を集めています」

——そして。

学校でも話題になった。

「お前んち、ファミコン買った?」

「えー!いいなー!」

公園に、子供の姿が減った。

みんな、家に帰ってゲームをしていた。

親たちも、気づき始める。

「ゲームって、こんなに子供を夢中にさせるのか」

「家族で遊べるのは、ちょっといいかもしれない」

ファミコンは、家庭の“真ん中”に置かれるようになった。

社長室にて

夜。

誰もいない本社の社長室。

山内は、ひとり静かにウイスキーを傾けていた。

窓の外、京都の街がぼんやりと灯っている。

机の上には、ファミコンの箱。

「……これは、ただのゲーム機やない」

「うちの未来が、詰まっとる」

カランと氷が鳴る。

山内は立ち上がり、夜の廊下を静かに歩いた。

「ここからや」

社会現象

ファミコンは、止まらなかった。

口コミが火をつけた。

「隣の家、ファミコンあるんやって!」

「えー、マジで? やりたい!」

友達の家に行って、コントローラーを握る。

十字キーを押せば、画面の中のマリオが跳ぶ。走る。穴に落ちると、みんなで笑った。

ゲーム雑誌が創刊された。

テレビではファミコン特集。

小売店では、“予約制”が当たり前になる。

ファミコンは「子供の遊び道具」ではなく、社会現象になっていた。

社長、語る

白い背景に、黒いソファ。

テレビのスタジオで、山内溥は静かにインタビューに応じていた。

「任天堂の急成長が話題になってますね」

記者がそう切り出す。

「昔ながらのトランプ会社が、世界を代表するゲーム企業に変わった」

「何か、特別な戦略があったんでしょうか?」

山内は、ふっと目を細めた。

少し間を置いてから、言った。

「たしかにね、外から見たらそうかもしれん。花札とトランプの老舗が、ゲーム機メーカーに変わる。確かに、えらい変化や」

「でもな、ほんまは違うんです」

山内は、テーブルのグラスに手を伸ばす。ひと口、冷たい水を含む。

「花札とトランプの人気が、下がっただけなんですよ。時代が変わってしもた。しゃあないから、別のもんやろか言うて、転換を図った。それだけのことですわ」

記者は思わず、「それだけのこと」と繰り返した。

「そう、ほんまにそれだけのこと。戦略的にどうとか言う人もおるけど、試行錯誤の連続で、どないかこうにかやってきた」

「失敗して、また別のこと試して。ちょっとずつ覚えて、やっと波に乗れたんです。」

「それまでに、よう潰れんかったもんや思いますわ。」

山内は、まっすぐカメラを見た。

「任天堂は運がよかっただけなんですよ」

その声は、静かに響いた。

だが、そこに込められたのは、誰よりも“運を引き寄せてきた男”の確信だった。

「ソフト」

山内は言った。

「いちばん大切なのはソフトなんです。」

力強く宣言する。

「ハードがあっても、遊ぶもんがなかったら意味ない。逆に、面白いソフトがあり続けたら、ハードは自然と広がる」

その言葉に、耳を傾けた。

山内の頭には、過去の経験が浮かんでいた。

——あの時も、そうやった。

まだ任天堂が、トランプを主力にしていた頃。

「家族で遊べるトランプ」として販売するために、あることを思いついた。

「プレイガイドを入れてみよう」

トランプの箱に、小さな冊子を差し込んだ。

そこには、ババ抜き、神経衰弱、大富豪……誰でも簡単に遊べるルールが載っていた。

「つまり、遊び方、ソフトを“提案”したわけですね。」

「そう。ハードだけでは、人は動かん」

プレイガイドとトランプ。

後のファミコンとカセットの原型だったのかもしれない。

「任天堂は、ソフトをつくる人間を大事にせなあかん」

「面白さを作る人間を育てなあかん。せやから」

「ゲームクリエイターいう仕事が、必要になる」

「うちでいうと、横井が最初の“ゲームクリエイター”や」

ファミコンが、跳んだ日

1985年。

任天堂が放った、一本のソフトが日本中を駆け抜けた。

『スーパーマリオブラザーズ』。

「マリオが、横に走ってる……!」

最初に遊んだ誰もが、画面を見て声を上げた。

それまでのゲームは、止まっていた。
画面の中でジャンプはしても、走り続けるなんてことはなかった。

だが——マリオは走った。

背景が流れ、敵が現れ、音楽が響く。
そして、ゴールポールに飛びつくと、ファンファーレが鳴り響いた。

「すごいぞ、これ……」

発売から数ヶ月。
『スーパーマリオブラザーズ』は、驚異的なスピードで世界を変えていく。

学校の休み時間、子どもたちは「地下の隠し通路」の話をした。
公園のベンチでは「無限1UP」のやり方を自慢しあった。
誰もが、夢中だった。

それは、ただのゲームソフトじゃなかった。

家庭用ゲームという言葉の、意味を変えてしまった。

任天堂本社の一室。
報告書を手にした山内が、ポツリと呟いた。

「……跳んだな、マリオ」

このゲームには、あの『ドンキーコング』の魂が生きていた。

アーケードから生まれた、あの跳ねる男。

宮本茂の頭の中から飛び出した、小さなヒーロー。

そして今や、その男が日本中を、世界を走っている。

「ようやったな、宮本」

山内は、静かに言った。

「おもろいもん作る奴が、育ってきた証や」

ゲームクリエイターという言葉が、まだ一般的でなかった時代。

その仕事に、意味を与えた一本のソフト。

『スーパーマリオブラザーズ』

任天堂という会社が、「遊びで世界を変える」企業になったことの、証だった。

揺らぐ哲学

公園が、静かだった。

ブランコが揺れていた。風に吹かれて、ギィ、ギィと音を立てている。

誰もいない。

すべり台も、砂場も。あれだけいた子どもたちの姿が、どこにもなかった。

横井は、自転車を降りて、その風景をしばらく見つめた。

「……こんなはずやなかったんやけどな」

ポケットの中には、週刊誌の切り抜き。

《ファミコン依存が社会問題に》《子どもたちが“ゲーム漬け”に?》

嫌な言葉だった。でも、無視できなかった。

近所の駄菓子屋に立ち寄ったとき、店主がぽつりとこぼしていた。

「最近はもう、子どもらが集まってきませんよ……」

横井は、わかっていた。
ゲームが楽しいのはいい。夢中になるのも、悪くない。

けれど——

(これが、ほんまに“遊び”なんか?)

画面の中だけの世界。
誰とも話さず、動かさず、ただボタンを押すだけ。

公園で転んで、泣いて、笑って、取り合って、また仲直りして。
そういう“遊び”を、ワシらは作ってたつもりやったんちゃうんか。

「おもちゃいうのはな……人とつながるもんであってほしいんや」

ベンチに座る。
遠くで風鈴が鳴っていた。

「ちょっと、違うんちゃうか」

横井は、答えを持っていなかった。

(遊びって、何やろな……)

風が吹き抜ける。
どこかの家の窓から、ファミコンの効果音が漏れてきた。

ぴこーん、ぴこーん。

ゲームは、楽しい。
でも、横井の問いは終わらない。

——それは、本当に“遊び”なのか?

第6話 終次回は「遊びを外へ」。ゲームをテレビの前から外へ連れ出す。失敗寸前の液晶、テトリスとの出会い、通信ケーブル。ゲームボーイは横井哲学の集大成となる。