見えない不安
エレクトリック玩具はヒットしていた。
光線銃、ラブテスター……。
どれも話題になり、任天堂の名前は全国に広がった。
順調に見えた。だが、山内溥の心からは不安が消えなかった。
「……なくても困らないんや。」
社長室で、一人つぶやく。
玩具は、なくても生きていける。
だからこそ、売れる時は一気に売れるが、飽きられるのも早い。
「ヒットしても、2年目には半分しか売れへん……」
売上のグラフを指でなぞる。
確かに最初は跳ね上がる。だが、すぐに下降し、あっという間に消えていく。
山内はグラスを置き、ぽつりと呟いた。
「ライフサイクルが短い。娯楽品というものは」
「つまり、次々に新しいものを出さなあかん」
山内は煙草の煙を吐きながら続けた。
「飽きられたら終わりや。ずっと売れるものなんてない」
「……厳しい商売やな」
——これでは、会社の未来を変えられない。
玩具だけではダメだ。
山内は実用品に目を向けた。
「実用品なら、生活に必要とされる。」
コピー機の開発に乗り出した。
オフィスで毎日使われる機械なら、安定した需要が見込める。
だが、結果は散々だった。
当時の大手メーカーには太刀打ちできず、コストも高すぎた。
「ならば、子ども向けの実用品や。」
そう考え、ベビーカーの開発にも挑戦した。
だが、これも大ヒットにはならなかった。
「……どれも、会社の柱にはならん。」
山内は静かに目を閉じた。
「何か、ないんか。」
玩具のように短命ではなく、コピー機のように安定した需要があり、しかも任天堂らしい商品。
そんなものが、この世にあるのか?
「横井、競技にするぞ。」
山内溥は、新聞を机の上に置いた。
「空気銃をつかった、新しい競技が人気」
見出しを見て、横井軍平が覗き込む。
「ほう、スポーツ競技に?」
「そや。」
山内は椅子に深く座り直した。
「ボーリングの球を思うてみい。50年前も今も必要とされてる。」
「ですね。」
「光線銃も、そんな競技の道具になれば、ずっと売れる。」
「なるほど……考えてみます。」
ここから横井のアイデア探しがはじまった。
——光線銃。
撃つ。的に当たる。
ただそれだけ。
「……これ、ただの射的やな」
鉛筆をくるくると回しながら、ぼんやりと天井を見上げた。
「おもちゃとしてはええかもしれんけど……それだけで終わるやろな」
玩具の遊びは、手軽で楽しい。だが、すぐに飽きる。
人は「難しさ」と「深み」に惹かれるものだ。
トランプだってそうやった。
単なる紙切れでも、ポーカーになれば戦略が生まれる。
花札も、ただの絵札やのに、役を覚えた途端に奥深い勝負の世界が広がる。
「ただ撃つだけやなくて、もっと“競技”にせなあかん」
競技には、狙う楽しさがある。
当たったときの達成感、狙いを定める緊張感。
そして、技術を磨くことで、もっと上手くなれる——その実感が、人を夢中にさせる。
「競技としての“銃”か……」
横井は鉛筆をトントンと机に叩いた。
——対戦型?
二人で撃ち合う?
いや、それじゃただのガンマンごっこや。
——狩りか?
古来、人間はずっと“獲物を狙う”ことに熱中してきた。
的を見つけ、狙いを定め、撃ち落とす——この流れには、太古からの本能的な面白さがある。
「……狩猟やと、スポーツとしての形に落とし込むなら……」
そこで、ふと思った。
「クレー射撃か」
競技用の銃を使い、飛び出した標的を撃ち落とすスポーツ。
単なる的当てではなく、標的が動くことで、予測と反応の駆け引きが生まれる。
「これや」
横井はスケッチブックをめくり、勢いよくペンを走らせた。
光線銃を、動く的に撃つスポーツにする。
これなら、遊ぶほどに上達し、競い合うことができる。
単なる“おもちゃ”ではなく、夢中になれる“遊び”を作る。
「いけるな」
横井はニヤリと笑った。
頭の中で、すでに新しいゲームが形を成し始めていた。
鉛筆が走る。
クレー射撃——飛ぶ的を撃つ競技。
「狙って……撃つ」
シュッと線を引く。
山内は少し興味を示した。
「なるほどな。クレー射撃」
横井は笑う。
「まずは、本物のクレー射撃をやってみますよ。」
「あっ、もちろん社費でお願いします。」
——数日後。
射撃場。
銃を握る横井。
空に飛ぶクレー。
狙う——撃つ。
パンッ!
外れた。
「あかん。」
横井は息を整え、もう一度構える。
飛ぶクレーの「ちょっと先」に狙いを定める。
撃つ。
パンッ!
——砕けた。
横井は笑った。
「なるほどな。」
クレー射撃の面白さは、「動く的のちょっと先を狙うこと」。
この感覚がクセになる。
「……これや。」
横井はスケッチブックを開いた。
「うん、射的と違うのはここや。的が動くことで、狙いをつける面白さが生まれる」
どうやったら、光線銃でこれを再現できるか。
鉛筆が走る。
考えまくる。
「絶対、おもろいもんになる。」
アイデアが、生まれようとしていた。
夜の開発室。
時計の針は深夜2時を回っていた。
床にはクシャクシャに丸められたスケッチや図面が散らばり、机の上には分解された光線銃のパーツが乱雑に置かれている。
横井軍平は椅子に深く沈み込み、腕を組んで天井を見上げていた。
「……あかんな。どうしても射的の延長にしかならん」
レーザークレー射撃場の出店計画は迫っていたが、アイデアは未だ壁を越えられていなかった。クレー射撃特有の「偏差撃ち」の感覚を、どうやって光線銃で再現するか——それが分からなければ、この企画自体が頓挫しかねない。
机に突っ伏し、目を閉じる。
「クレー射撃の楽しさは、動く的を先読みして撃つところや……」
「的が動く少し先に太陽電池のセンサーを……」
鉛筆がカリカリと走る。
「いや、違うか、太陽電池のセンサーを大きく……」
次の瞬間、横井は首を振った。
「ちがう、それでは的がただ大きくなって簡単になるだけか……」
また消す。
また描く。
ページが次々とめくられていく。
「ん?」
横井は手を止め、ペンを咥えたまま宙を見つめる。
「技術の問題やない。これは発想の問題や」
「的と光線銃は、つまりはお互いに通信する 通信機器なのだから……」
小さく呟くと、まるで何かが弾けたように、机に身を乗り出した。
「通信はどちらからでも、よい」
手元のスケッチに素早く線を加えていく。
「だったら、的が光を出して銃が受信機になれば!」
その瞬間、横井は笑った。
「……せや!」
叫びながら、思い切り鉛筆を走らせる。
紙の上に新しい概念が形を成していく。
まるで遊んでいる子供のように。
次の瞬間、椅子から立ち上がり、歩きながら空中に指で線を描く。
「的の表面が光って、それを銃がキャッチする。でも、これやと目に見えた的を狙うだけになってまう。」
指が宙に何かを描き続ける。
まるで見えないクレー射撃をしているように、狙いをつけるジェスチャーを繰り返す。
「的の動き……数秒後の的の位置から光を出すとして……」
「赤外線……」
「的のやや前方に、目に見えない赤外線の『ゾーン』を作る……」
スケッチブックにペンが踊る。
「プレイヤーは、飛ぶ的の『ちょっと先』を狙う。そうしないとアタリにならん。」
満足げに鉛筆を置き、ふっと息をつく。
「おもろいもんができる……!」
スケッチブックを閉じ、立ち上がる。
まるで、今から本物のクレー射撃に挑むかのように。
試作機の準備に、横井は飛び込んでいった。
レーザー・クレー射撃、完成
社長室。
横井軍平は試作機を抱え、山内溥の前に立った。
山内は腕を組み、じっと横井を見つめる。
「ほう、それが例の新しい光線銃か?」
「はい、レーザー・クレー射撃です。」
横井はスケッチブックを開き、図を示す。
「普通の光線銃は、撃つ側が光を出して、的が受け取る。でも、それやとただの射的です。」
山内は頷く。
「せやな。」
「そこで、逆にしました。」
横井は試作機の銃を山内の前に置く。
「的が光を発します。そして銃が受け取る。」
「ほう……」
横井は指を動かし、説明を続ける。
「プレイヤーは、見えてる的をそのまま撃ってもダメなんです。飛ぶ的の『ちょっと先』を狙わんと、アタリになりません。」
山内が眉を上げる。
「つまり、?」
「クレー射撃の偏差撃ちを再現したんです!」
横井は光線銃を構えた。
「見ててください。」
スイッチを入れる。
部屋の片隅に設置された的装置が、青白く光る円盤をシュッと飛ばす。
横井はすぐに銃を構えた。
しかし——狙うのは的ではない。
その少し前。
パンッ!
——ピピッ!
光が点滅し、「アタリ」の音が鳴る。
「……なるほどな。」
山内は腕を組んだまま、試作機をじっと見つめる。
「確かに、これはただの射的やない。狙って、撃つ駆け引きがある。」
横井はニヤリと笑う。
「プレイヤーは、的の軌道を読んで、『ここに撃てば当たる』と考えながら撃ちます。これが、クレー射撃の面白さです。」
山内はしばらく考え——やがて、ゆっくりと頷いた。
「……おもろい。」
山内は光線銃を手に取った。
「これが、新しい競技の始まりやな。」
レーザー・クレー射撃
新しいスポーツの誕生の瞬間だった。
レーザー・クレー射撃、街に広がる
1970年代、日本は高度経済成長のピークを迎えていた。
新幹線が走り、大阪万博が開催され、人々は新しいものに目を輝かせていた。
街にはディスコ、ジーンズにロック、アイドル歌謡。
若者たちは、車を乗り回し、カラーテレビに熱狂し、娯楽を求めていた。
そんな時代に
「レーザークレー」
新しい遊びが、街に登場した。
「おい、これすごいらしいぞ!」
大学帰りの男が、友人を引っ張る。
繁華街の一角、ネオンに照らされた看板が輝く。
「レーザー・クレー射撃、オープン!」
中に入ると、ボウリング場を改装した広いフロア。
奥には、的が飛ぶコース。
並ぶ銃、待ち構えるプレイヤー。
「うお、マジでクレー射撃みたいやん!」
銃を握る。
照準を合わせる。
的が飛ぶ。
「今や!」
ピピッ——アタリ!
「やった! 当たった!」
歓声が上がる。
撃ち終えた男が、銃を眺める。
「……すげえ、これ、」
普通の射的とは違う。
狙い、撃つ、考える。
「おい、もう一回やろうぜ!」
気がつけば、列ができていた。
ネオンの光の下、若者たちは次々と店に吸い込まれていく。
新聞記者が、メモを取る。
「任天堂の新スポーツ、若者に大人気」
テレビカメラが、撃つ瞬間を捉える。
「日本初! レーザー・クレー射撃とは?」
雑誌の見出しが躍る。
「スポーツか、ゲームか? 謎の大ヒット!」
街のいたるところで、レーザークレーの名前が聞こえるようになった。
「社長、大変です!」
開発部の扉が開く。
山内溥が顔を上げる。
「なんや?」
「注文が……すごいことになってます!」
営業部の男が興奮気味に報告する。
「今月だけで全国50カ所から導入の問い合わせが……!」
横井軍平が、手元の設計図をめくる。
「……そうか。」
「うちの光線銃が、ここまでいくとはな……」
山内は静かに笑った。
「売れるもんは、売れる。」
横井が銃を手に取る。
「ええ。でも、ここからですよ。」
山内が頷く。
「せや。勝負はここからや。」
デスクの上の売上表を指で弾く。
「これ、もう一歩踏み込んだら、もっと売れるで。」
「どう踏み込みます?」
山内はニヤリと笑った。
「ドーンとやるんや。売れると決めたら、攻め倒す。それが商売や。」
光線銃をクルリと回し、横井に投げる。
「おもろいもんは、世の中に叩き込むんや。」
横井は受け止め、目を輝かせた。
「なら、やりましょうか。」
街には、新しい遊びがあふれていた。
若者たちは次の刺激を求め、流行は移り変わる。
新たな挑戦が、始まっていた。
突如訪れた暗転
昭和48年——1973年。
街はいつもと変わらないように見えた。
だが、じわじわと異変が広がっていた。
新聞の見出しが変わる。
「原油価格、急騰!」
「灯油の買い占め相次ぐ」
「消費者、財布の紐を締める」
オイルショック——。
その影響は、想像以上に速く、深く、広がっていった。
「すまん、やっぱり見送らせてもらうわ。」
電話の向こうの声が、申し訳なさそうに言う。
「……え?」
営業部の男が受話器を握りしめる。
「すでに設備の発注も終わってますけど……」
「うちもな、正直それどころやないんや。客足が減ってな……」
「しかし——」
「悪いな。」
カチャン。
受話器を置く。
「……またキャンセルか。」
営業部の空気が重くなる。
次々と届く「延期」「中止」「見送り」の連絡。
レーザー・クレー射撃の出店計画は、一気に暗雲に包まれた。
「社長、大変です。」
重い足取りで、秘書が社長室に入る。
山内溥は、静かに視線を上げた。
「なんや。」
「キャンセルが……止まりません。」
横井軍平も同席していた。
「そんなにか?」
「はい……。」
秘書は、手元の資料を差し出す。
『全国の導入予定リスト』
つい数カ月前まで、50カ所以上の新規出店が予定されていた。
それが——
「半分以上、白紙です。」
山内はリストを見たまま、黙った。
横井がため息をつく。
「世の中がこれじゃ、仕方ないですね……」
オイルショック。
灯油の買い占めが始まり、スーパーには長蛇の列。
電気も節約。外食も控え、娯楽施設の客足は急激に落ち込んでいた。
「遊びどころじゃない」
そんな空気が、日本全体に広がっていた。
工場のラインが止まる。
「……これ、どうするんです?」
作業員が、完成した銃を手に取る。
レーザークレー用の設備、光線銃、センサー、的。
すでに大量生産され、倉庫に山積みになっていた。
「……予定では、全部納品されるはずやったんや。」
「納品先が、なくなったんですよね。」
横井が無言で倉庫を見渡す。
あれだけ求められていた光線銃が、今はただ、積まれているだけだった。
山内が、静かに言った。
「……在庫やな。」
経理部から、数字が上がる。
山内はその数字をじっと見つめた。
「負債50億円——」
想像以上に、大きな数字だった。
レーザークレーの設備投資。
新規出店のための先行投資。
見込みで製造した大量の銃と設備。
すべてが、一瞬で負債になった。
もがき、苦しみ
今や、世界的企業の任天堂。しかし、その歴史には、こんなにも深いもがきと苦しみがあった。
「任天堂、倒産か——?」
そんな噂すら、業界に流れ始めていた。
約50億円の負債。
その重さは、想像を絶していた。
「社長、資金繰りが、、」
経理部が駆け込んでくる。
銀行も、様子を見始めている。
山内溥は、無言で資料をめくる。
「……しくじった。」
小さく呟いた。
長いトンネルの始まり
何を出しても、売れない。
山内溥は、社長室の窓から京都の街をぼんやりと眺めていた。
会社の帳簿を見れば、売上は下降線を描き、資金繰りは苦しくなるばかり。
「完全に裏目やった……」
山内は苦々しく呟いた。
設備投資は膨大で任天堂の経営は一気に傾いた。
「なんで、こんなことに……」
頭では分かっている。
娯楽産業は、時代の波に左右される。
タイミングが悪ければ、どれだけ良い商品を作っても売れない。
「けど……ここまでとは……」
後悔しても、もう遅い。
長い長いトンネルに迷い込んだような気分だった。
もがく横井軍平
「なんとかせなあかん……!」
横井軍平は、開発部の狭い部屋で頭を抱えていた。
机の上には、試作品の残骸が転がっている。
「もっと……もっと、売れるもんを作らんと……」
山内の心の中は、ひしひしと伝わっていた。
横井は唇を噛んだ。
横井は、がむしゃらに新商品を作り続けた。