開発課の始まり
開発課の部屋は狭かった。
デスクには試作品が山積みになり、工具と紙くずが散らかっている。
窓を開けても、ハンダの匂いがこもっていた。
横井軍平はスケッチを描いていた。
ペンを走らせる音だけが、部屋に響く。
ふと、昔のことを思い出した。
野球に夢中だった友達。
「お前もやれよ!」
少年時代、友達がそう言ってバットを握らせてきた。
興味がなかった。けれど、夢中になっている友達の顔を見て、こう思った。
「あいつがこんなに熱中するってことは、野球って面白いんやな」
横井はスケッチを止め、しばらく天井を見上げた。
そして、ペンを取り直し、新しい線を引いた。
バッティングマシンを作ろう。
「バッティングマシンの玩具」
山内溥は、図面を見下ろしたまま言った。
椅子に深く腰掛け、腕を組んでいる。
「ええ、野球をやりたいけど、一人じゃ練習できない子供がいると思うんです」
横井は姿勢を正して説明した。
「ピンポンボールを一定の間隔で飛ばす仕組みです。バットで打つだけのシンプルな遊びですが……」
「それがええんやろ」
山内は口を挟んだ。
「子供は、シンプルなものほど飽きずに遊ぶ」
横井はうなずいた。
社長がどこを見ているのか、少しずつわかるようになってきた。
「売れるかどうかは、売り方次第やな」
山内は図面を閉じた。
「試作品を作れ」
それが、GOサインだった。
試作品ができた。
開発課の机を端に寄せ、スペースを作る。
横井はマシンのスイッチを入れた。
ポンッ!
白いボールが飛び出す。
バットの音が、開発課に響いた。
パーン!
乾いた快音に、部屋の隅で見ていた社員たちがどっと沸いた。
「おおっ!」
横井軍平は、少し照れながらマシンの調整つまみを回す。
「まだちょっと、タイミングが早いですけど……」
「十分や!」
山内溥の声が飛ぶ。
横井が振り返ると、山内は腕を組んで立っていた。
いつもの鋭い目が、くしゃっと細くなっていた。
(……笑ってる)
それを見た瞬間、横井の胸の奥に、なにかじんわりとしたものが広がった。
機械の試作がうまくいったからじゃない。
社員が盛り上がったからでもない。
(あの人が笑ってる……)
それだけで、全てが報われた気がした。
——この笑顔が見たかったんや。
横井は気づいてしまった。
自分が「おもろいもん」を作り続けてきた理由。
それは、誰よりも先に、あの社長を笑わせたかったからだ。
(あの人が笑えば、会社が回る)
(そんで、その笑顔が見たくて、また変なもん考えてまう)
(よっしゃ、また笑わせたるわ)
ウルトラマシンは、すでに的を撃ち抜いた。
だが——本当に狙っていたのは、あの人の笑顔だったのかもしれない。
「野球をやる子供に、確実に届かせる方法がある」
山内は静かに言った。
「テレビコマーシャルや」
「せやけど、普通のコマーシャルやない」
「王と田淵を使う」
山内溥は、書類の束を机に置いた。
「……え?」
横井は顔を上げた。
「野球をやる子供が、一番憧れるのは誰や」
「それは……王選手と、田淵選手……」
「せや」
山内は煙草をくわえ、静かに言葉を続ける。
「子供はな、好きな選手と同じものを使いたがるもんや」
横井は理解した。
「ウルトラマシンを、ただの玩具やなく、憧れにするんですね」
「せや。コマーシャルのキャッチコピーは決まっとる」
山内はニヤリと笑った。
「王、田淵に挑戦」
コマーシャルの撮影は順調に進んだ。
照明の当たるスタジオ。
ウルトラマシンの前に立つ、王貞治と田淵幸一。
野球少年たちの憧れが、画面の中に収まる。
ポンッ!
ウルトラマシンが球を投げる。
王が構えた。
カキーン!
乾いた音が響いた。
「さすが王選手!」
田淵が笑いながらバットを構える。
「よし、次は俺の番だ!」
「王、田淵に挑戦!」
画面の中で、ウルトラマシンが輝いていた。
放送開始。
読売ジャイアンツと阪神タイガースの試合中継。 その合間に、流れるコマーシャル。
「王、田淵に挑戦!」
テレビの中でバットを振る二人に、子供たちは目を輝かせた。
——翌日、玩具店に列ができた。
電話が鳴り止まない。 問屋が工場の前に詰め寄る。
「社長、追加生産の手配を!」
社員が駆け込んできた。
山内は、机の書類をめくりながら、淡々と答える。
「次の手も考えとけ」
1968年、ウルトラマシン発売。
初年度だけで80万個。 翌年には100万個を突破した。
棚は次々と埋まり、工場はフル稼働。
任天堂の売上構成が、完全に変わった。 かつては、カード7:おもちゃ3。 それが今や、逆転していた。
山内は、静かに数字を見つめる。
「……よかった」
誰に言うでもなく、ぼそっとつぶやいた。
——横井軍平は、すでに次のアイデアを考えていた。 机の上には、新しいスケッチが並んでいる。
作る者と、売る者。
その歯車は、止まらなかった。
横井軍平の作るものは、次々と売れた。
新しい柱が、確かに立った。
山内は、デスクの上のウルトラマシンのカタログをめくった。
その端には、次の計画のメモが挟まっている。
「次は、何を作る?」
勝負は、まだまだこれからだった。
ラブテスター誕生
横井軍平は、机の上に転がる検流計を眺めていた。
検流計——電流の流れを測る装置。
普通なら、ただの測定器。
しかし、横井にとっては「遊び道具」だった。
細い針が、わずかな電気を拾って震えている。
「おもしろいな」
軽くつぶやき、指先でそっと触れた。
針が微かに揺れる。
もっと強く押してみた。
針が跳ねる。
ふと、近くにいた先輩の腕を掴んだ。
ビクン!
針が、一気に跳ね上がる。
「……なんやこれ」
横井は目を丸くした。
ただの機械だ。
だが、まるで「感情」を持っているみたいだった。
「人に触れたら、電流が変わるんか……」
面白い。
だが、これをどう「遊び」に変える?
一瞬、考え——すぐにひらめいた。
「これは、女の子と手を繋ぐ口実になるぞ!」
山内溥の前で、横井は実演した。
机の上に置かれた、小さな装置。
「社長、これです」
「なんやこれは」
「ラブテスターです。」
山内は、無言で見つめた。
横井は、自分の手を検流計に触れさせる。
針がピクリと揺れる。
「これに、もう一人が触れると——」
先輩の手を握る。
ビンッ!
針が大きく振れた。
「……ほう」
山内の細い目が、少しだけ動く。
「つまり、電気を使った、おもちゃやと?」
「ええ。男と女が手を繋ぐと、愛情の度合いが数値で出るんです」
横井はニヤリと笑った。
「デートの時に、『試してみる?』って言えば、自然と手を繋げます」
「女の子と手を繋ぐための、最高の口実ですよ!」
一瞬、沈黙。
そして——山内が笑った。
「……おもろいな」
CM制作が決まった。
山内は考えていた。
この商品は、単なる「おもちゃ」ではない。
大人も、興味を持つかもしれん。
ならば、売り方も変えなければならない。
普通の子供向けCMでは、伝わらない。
もっと「話題」になる見せ方をしないと——。
ラブテスターのCMが放送された。
街中がざわついた。
画面に映るのは、カップル。
男が言う。
「君と、試してみたいんだ」
女が、微笑む。
手を握る。
ビンッ!
針が振れる。
「あなたたちの愛は、どれくらい?」
「ラブテスター」
夜のバーでも、会社のオフィスでも、この話題が出た。
「見たか、あのCM?」
「手を繋ぐだけで、愛情がわかるってやつやろ」
「おもしろいけど……買うか?」
それでも——
山内は、売上報告を見ながら考えていた。
「おもちゃに電気を使う、か……」
たしかに、爆発的に売れたわけではない。
しかし、なにか未来をみた気がする。
「エレクトリック玩具の可能性」
横井は、電気の力を「遊び」に変えた。
この発想を、もっと広げれば——。
山内は、タバコをくわえたまま、静かに言った。
「横井くん、次や」
横井は、すでに新しいスケッチを描いていた。
ラブテスターは、任天堂の未来を変える、新たな流れを生み出していた。
エレクトリック玩具の時代へ
任天堂は、確実に変わり始めていた。
かつての花札やトランプに頼っていた時代は、すでに遠い過去のものになりつつある。
横井軍平を中心に、
任天堂が向かった方向。それが、エレクトリック玩具。
電気を使って、遊びを変える。
そんなアイデアが形になりつつあった。
山内溥は、次々と飛び込んでくる技術の話に興味津々だった。
そして、必ず言うセリフがあった。
「電気メーカーさん、新しい技術もどんどん売り込んでください」
「任天堂は買う時は、どーんと買いますよ」
少し高笑いを交えながら、山内は力強く言う。
その言葉に、周囲の人間は一瞬、驚いた表情を見せることもあった。
だが、すぐにそれを理解する。
山内は覚悟を持って、挑戦し続けようとしていた。
1960年代後半、京都。
街は、どこかゆっくりとした空気の中に新しい風が吹き始めていた。
テクノロジーとエンターテイメントが、少しずつ交わり合い、家庭用電気製品の世界が変わりつつある時代だ。そんな時、シャープから、一つの売り込みが入った。
「太陽光電池を見てもらえませんか?」
シャープの営業と技術者が、京都にやってきた。
彼らの手には、小さな黒いセル。
横井軍平は、それをじっと見つめた。
「これは?」
「太陽光で電気を生み出すセルです」
営業が説明を始める。
「屋外だけでなく、明るい室内でもわずかに発電できます」
横井は興味を持った。
目を細め、セルを指でつつく。
「その、明かりを察知するというのは……」
一瞬、考えてから続けた。
「周りが明るい所でも、さらに強い光を感知できる、ということですか?」
シャープの営業は頷いた。
「そうですね。室内で電気がついている状態でも、もっと明るい光があれば発電します」
「なるほど……」
「ただし、充電量は当然太陽光のほうが——」
「いや、充電はどうでもいいんです」
横井は、言葉をさえぎった。
営業が一瞬、戸惑った顔をする。
「明るい室内でも、さらに明るい光を察知できるということですよね?」
「? はぁ……まぁ」
キョトンとする営業。
横井は、さらに詰めた。
「どれくらいの差で、反応するんです?」
「……1000ルクスぐらいの明るいところでも、1ルクスの光に反応できます」
ピタッ。
横井の動きが止まった。
一瞬、目を閉じる。
「……それは、周りが明るい場所でも?」
営業が少し考え、答えた。
「ええ、より明るければどこでも反応します。」
「……それはすごい」
横井の頭の中で、カチリと何かがはまった。
(これは……光線銃に使えるんちゃうか?)
それまでの光線銃は、暗闇でしか遊べなかった。
的に特殊なセンサーを仕込む必要があり、光を正確に捉えるのが難しかったのだ。
「なるほどな……この太陽電池を使えば」
「銃から撃つんやない。的が光を受けるんや!」
横井は立ち上がり、勢いよくスケッチを描き始めた。
これこそ、彼の哲学「枯れた技術でも使い方次第で
“遊び”に変える魔法」
これで、新しいゲームが生まれる!
横井は、試作品の設計をスケッチしながらつぶやいた。
「……これや。的が光を受ける、まったく新しい射的になる」
それまでの光線銃とは、まったく違う発想。
「太陽電池を充電」ではなく、「光を受けるセンサー」として使う。
横井は笑った。
「アイデア次第、やな。」
視点を変えれば、まったく新しいものになる。
そして、その新しいものが、世界を驚かせるのだ。
光線銃と社長の笑顔
開発課の机には、試作品が置かれていた。
ひとつは、ただの懐中電灯のような銃。 もうひとつは、太陽電池を組み込んだ小さな的。
横井軍平は、それを持って社長室へ向かった。
「社長、これです」
横井軍平が、懐中電灯のような銃を手に取る。
山内溥は、腕を組んでじっと見つめた。
「ほう」
横井は、的をセットする。 太陽電池を埋め込んだ小さな標的だ。
「光を当てると、的が倒れます」
懐中電灯型の銃を持ち、スイッチを入れる。
ピカッ!
カタン!
「……なるほどな」
山内の細い目が、少し開いた。
「おもろいやないか」
静かに言って、頷く。
「ええで」
横井はホッと息をついた。
すると——
「バーン!」
唐突に、山内が銃を撃った。
しかし——
的は、びくともしない。
「……なんや全然当たらんやないか」
山内が、訝しげに銃を覗き込む。
横井は、少し笑った。
「社長、もしかして——」
少し間を置いて言う。
「おもちゃの銃、撃ったことないんですか?」
山内が顔を上げた。
「……なんやて?」
「こうやって、ここを合わせるんです」
横井が銃を手に取り、狙い方を教える。
山内は、無言で受け取った。 じっと、的を狙う。
そして——
「バーン!」
カタン!
的が倒れた。
次の瞬間。
山内が満面の笑顔を見せた。
「おおっ!」
横井は、その顔を見て驚いた。
——社長が、こんなに楽しそうな顔をするなんて。
山内は、もう一度銃を撃った。
「バーン!」
「バーン!」
カタン! カタン!
的が倒れるたびに、山内は笑った。
それから——
「あの銃、持ってきてくれ!」
それが、山内の口癖になった。
来客があるたび、光線銃をみせたがる。 「こうやって撃つんや」 自ら実演する。
ニコニコ笑いながら。
「みな、社長の笑顔が見たくて仕事をしていた」
古くからの社員は、そう語る。
その日から、社長室にはいつも光線銃が置かれることになった。
シャープの営業が、任天堂の開発課を訪れた。
「横井さん、本当にありがとうございました」 深く頭を下げる。
「うちの太陽電池、光線銃のおかげで増産決定ですわ」
「そうですか、それはよかった」
横井は少し照れたように笑った。目線は低く、口元だけが緩んでいる。
「いやぁ、でも、あのアイデアだけは……もう、私では絶対思いつかないです」
営業は太陽電池のセルを見つめたまま、ポツリと言った。
「横井さんの頭の中、どうなってるんですか?」
その問いに、横井は静かに口を開いた。
「私の中ではね、“これが解決できたらいいな”っていう『お題』みたいなもんが、常にいくつも浮かんどるんです」
「お題……?」
営業が首をかしげた。
横井は、棚から一冊のスケッチブックを取り出す。 めくると、そこには「室内でも使える光線銃」「暗くなくても反応する的」といった走り書き。
「だからね、何か新しいもんを見たとき、『あ、これであの“お題”が解けるんちゃうか?』って、パッとひらめくんですわ」
「なるほど……!」
「せやから、頭の中に『問い』を持っとくことが大事なんちゃいますかね」
横井は言いながら、ふっと空を見上げた。
「アイデアって、思いつくもんやなくて、解くもんですから」
営業は、目を丸くした。
「それ、名言ですね」
横井は少し照れたように笑った。
「ほな、またなんかおもろい技術あったら、持ってきてください」
「はい! 次はもっとすごいネタ、用意しときます!」
二人は握手を交わした。
アイデアは、降ってくるんじゃない。
見つける準備ができている人にだけ、訪れる。