トランプ工場の機械が、今日も黙々とカードを切り揃えていた。
横井軍平は、腕を組んでそれを眺める。
「……ヒマやな」
機械保守の仕事はあった。だが、機械が壊れない。
任天堂のプラスチックトランプ工場は、整備が行き届いており、ほとんどトラブルがない。つまり、横井はほぼ暇だった。
だから、手が空く。
——暇を持て余した技術者ほど、厄介なものはない。
「……ん?」
ふと、電球が切れているのに気づいた。脚立を探すのも面倒だったので、何か掴める道具を作れないかと考える。
近くにあった木片と金具を組み合わせ、即席のアームを作る。パンタグラフのようにアームが交差し、伸縮する。
「お?」
もう一度、今度はゆっくりと動かす。
シュッ、パッ。
交差するアームが、蛇腹のように滑らかに伸び縮みする。試しに机の向こうの消しゴムを狙って、先端に引っ掛ける仕組みをつけた。
カチッ。
見事に掴めた。
「……おもしろいやないか」
横井は夢中になり、改良を重ねた。アームの長さ、関節の数、素材の強度。いじればいじるほど、スムーズに動くようになる。
気づけば、時計の針は大きく進んでいた。
「あかん、仕事しとるように見えんわ……」
そう思い、慌てて片付けようとした。 そのとき。
「何やっとんのや?」
背後から、甲高くもピシャリとした声が飛んできた。
振り向くと、そこには山内溥が立っていた。
「あ、社長……!」
横井の背筋が一気に伸びた。
「い、いや、別に……!」
机の上の作品をとっさに隠す。しかし、山内の目は鋭く、それを見逃さなかった。
「見せてみぃ」
「えっ、いや、これは……」
「ええから」
横井は観念し、そっと作品を手に取った。そして、震える手でアームを伸ばして見せる。
シュッ、パッ。
先端が伸び、遠くの消しゴムを掴む。
スッと手元に戻す。
山内の表情が一瞬、変わった。
「……後で役員室に来い」
その言葉だけを残し、山内は去っていった。
——終わった。
これはもうクビかもしれん。
役員室にて
「失礼します……」
横井は緊張しながら、恐る恐る役員室のドアを開けた。
山内は、机の上に腕を組んで座っている。
「まあ、座れや」
横井はぎこちなく椅子に腰を下ろす。
「お前、工場の機械使って、おもちゃ作っとったな」
やっぱり怒られる——そう思った瞬間。
「おもろいな、あれ」
「……え?」
「お前の作っとったあれ、商品化せぇ」
横井の脳が、一瞬理解を拒否した。
「え、えっと、つまり……?」
「売るんや。あれ、絶対子どもが好きや」
まさかの展開だった。
「ただの道具やったらあかん。ゲームにせぇ。」
「ゲーム……?」
「ただ伸ばして掴むだけやと、すぐ飽きられる。セットにして、遊びのルールをつけろ」
山内は続けた。
「名前はウルトラハンドや」
「ウルトラハンド……?」
「今、ウルトラCが流行っとるやろ。オリンピックの名残や」
1964年の東京オリンピック。体操競技の「大技」を決めるときに使われた言葉——「ウルトラC」。
「それ、ええですね……!」
だが。
横井は、すぐに頭を抱えた。
「ゲームにしろと言われてもな……」
ただ伸ばして掴むだけなら、すぐに飽きられる。
しかし——
「……道具を作るんじゃない。ゲームを作るんや」
横井は、自分にそう言い聞かせた。
山内に言われたからやるんじゃない。
「面白くなかったら、俺の負けや」
彼は唇をかみしめ、試作品を握り直した。
「なんとしても、遊びに変えてみせる」
「掴むものを工夫すればええんやろか……」
消しゴムや鉛筆を掴むだけでは、すぐに飽きられる。
もっとルールと目標が必要だった。
横井は、自分のデスクに戻ると、試作品をいじりながら考えた。
「ゲームって何や……」
ただ掴むだけではない。狙う楽しさ、成功したときの達成感、それが必要だ。
「……そうや!」
思いついた。
ボールを掴んで、ゴールに入れる遊び。
ただ掴むのではなく、距離を測りながら慎重に狙い、的に入れる。これなら競争もできる。
さっそく試作した。机の上にカップを置き、ウルトラハンドでボールを掴んで、そっと運び、狙って落とす。
「……難しい!」
だが、それがいい。
簡単すぎたらすぐに飽きる。ちょっと難しいからこそ、挑戦したくなる。
翌日。
山内の前で試してみせた。
「ほう、ゲームになっとるやんか」
横井は緊張しながら言った。
「ボールを掴んで、決められた場所に落とすんです。うまく運ぶのがコツで……」
横井がデモンストレーションする。
慎重にボールを掴み、ゆっくりと持ち上げる。
狙いを定め、ゴールの上に移動させ——スッと落とす。
「入った!」
山内はしばらく考え込む。
そして、笑った。
「おもろいな。これ、売れるで」
こうして、ウルトラハンドは正式に商品化が決定。
──そして。
1966年、ウルトラハンドは発売される。
発売から2ヶ月で40万台。
さらに、クリスマス商戦で100万台を突破。
「横井、お前の暇つぶし、会社救ったな」
山内は笑いながら言った。
こうして、ウルトラハンドは大ヒット商品になった
横井軍平の「遊び心」が、任天堂の窮地を救ったのだった。
数年前——山内溥の危機感
──数年前。
任天堂はプラスチック製のトランプで大成功を収めていた。紙製が当たり前だった時代に、耐久性が高く、長持ちするプラスチックトランプは画期的だった。
「こんなん売れるわけない」
社内では反対の声が多かったが、山内はそれを押し切り、発売に踏み切った。そして結果は、大ヒット。
任天堂はトランプメーカーとしての地位を確立し、会社は潤った。
だが、その成功が、ある疑問を生んだ。
「トランプだけで、この先やっていけるんか?」
山内はふと、そんな考えを抱くようになっていた。
そこで、アメリカに渡った。世界最大のトランプメーカー「USプレイングカード社」を視察するためだ。
──アメリカ。
大国、巨大市場。任天堂が目指すべき未来。
そう思っていた。
だが、工場を訪れた瞬間、その幻想は崩れ去った。
「……なんや、これは」
世界最大のトランプメーカー——そのはずだった。
だが、工場は拍子抜けするほど小さく、機械も少ない。従業員も静かに働いているだけで、活気がない。
「これが……世界一の規模やと?」
山内は自分の手が、かすかに震えているのに気づいた。
もし、世界一がこの規模なら、トランプには未来がない。
「こんなもんにしがみついとったら、ウチは終わるで」
帰りの飛行機の中、山内は窓の外をぼんやりと見つめながら、ポツリと呟いた。
「もっと、新しい事業をやらなあかん」
帰国した山内は、すぐに多角経営を始めた。
インスタントラーメン、タクシー会社。
「どれか当たればええんや」
だが、どれも軌道には乗らなかった。むしろ、失敗が続き、任天堂の経営は傾き始めていた。
そして、1966年。
会社が苦しんでいたそのとき。
横井軍平が、ウルトラハンドを作った。
夜の社長室
夜の社長室。
社員はみな帰り、部屋には静寂が広がっていた。
山内溥は椅子に深く腰を下ろし、デスクの上のウルトラハンドを手に取った。
びょん、びょん。
伸ばしては縮め、また伸ばす。
ウイスキーのロックをひと口。
琥珀色の液体が、喉の奥にゆっくりと流れていく。
「……よかった。本当によかった」
呟く声が、静かな部屋に響く。
インスタント食品もダメだった。タクシー事業もダメだった。
数か月前は、本当にもう終わりかと思った。
しかし——
目の前のウルトラハンドは、120万個の大ヒット。
偶然か?
たまたまか?
いや、違う。
「横井軍平か」
再びウルトラハンドを伸ばす。バネの動きが、妙に心地よい。
偶然とはいえ、こんなヒット商品を生み出した。
人は、他にないものに金を払う。
「独創か……」
ウイスキーをもうひと口。
ウルトラハンドを生み出した横井は、独創ができる人材かもしれんな。
デスクの引き出しから、メモ帳を取り出した。
ペンを取り、ひと言だけ書く。
「開発部設立」
山内は、それをじっと見つめた。
この決断が、後に任天堂を大きく変えることになる。
開発課の始まり
山内溥は、しばらく横井を見ていた。
細い目をさらに細めて、じっくりと。
「君は、ええな」
ぼそっと言った。
「え?」
「君には、新しいものを作る仕事をやってもらう」
山内が、にやりと笑った。
「開発課を作る。そこの責任者や」
「えっ」
「文句あるか?」
横井は、しばらく黙ったまま、ウルトラハンドを握りしめた。
伸び縮みするアームの感触を確かめるように。
「……やります」
静かに答えた。
山内は満足そうにうなずいた。
「ほな、売れるもんを考えろ。おもろいもんをな」
それが、任天堂「開発課」の始まりだった。