身近なものから、遊びを発明する。
伸縮する格子、検流計、電卓用液晶。すでに存在する仕組みを、別の見せ方と別の用途へ移し、新しい遊びに変えました。
任天堂で機械設備の保守を担当していた横井は、仕事の合間に伸び縮みする道具を作って遊んでいました。それを山内溥社長が見つけ、商品化を命じたことで「ウルトラハンド」が誕生します。
THREE FACES
横井軍平の仕事は、一人で機械を設計することだけではありませんでした。遊びのきっかけを見つけ、人を組み合わせ、価格や使いやすさまで含めて商品にする。その全体を考える開発者でした。
伸縮する格子、検流計、電卓用液晶。すでに存在する仕組みを、別の見せ方と別の用途へ移し、新しい遊びに変えました。
開発第一部を率い、自らの発想だけでなく、若い才能や異なる専門を生かしてチームで商品を形にしました。
高性能であることよりも、分かりやすい、丈夫、安い、誰かと遊べることを重視しました。技術は目的ではなく、遊びを実現する手段でした。
LIFE & CAREER
玩具メーカーだった任天堂への入社から、携帯ゲーム機の世界的成功、そして独立まで。横井軍平の仕事は、会社と技術の変化の中で形を変え続けました。
子どもの頃から工作や鉄道模型に親しみ、手を動かして仕組みを作ることを好みました。
同志社大学工学部を卒業後、当時まだ花札やトランプを主力としていた任天堂に入社。工場設備の保守を担当します。
仕事の合間に作った伸縮玩具が山内溥社長の目に留まり、商品として大ヒット。横井は玩具開発を担当するようになります。
ウルトラマシン、ラブテスター、光線銃などを開発。機械玩具から電気を使った遊びへ、任天堂の商品領域を広げました。
電卓用の液晶技術を携帯ゲームへ転用。薄く、安く、短時間で遊べる新しい市場を生み出しました。
薄い本体でも直感的に操作できる十字キーを考案。さらに、性能競争より価格・丈夫さ・電池寿命を優先したゲームボーイを世に送り出します。
大きな組織を離れ、もう一度小さなチームで自由な商品開発に取り組むため独立しました。
独立から約一年後、交通事故により死去。未完の仕事と開発思想は、任天堂、コト、そして多くの開発者へ受け継がれました。
DEVELOPMENT PHILOSOPHY
横井軍平を象徴する言葉です。「古い技術を使う」という意味だけではなく、十分に理解され安くなった技術を、別の用途へ移して新しい価値を作る考え方です。
まず考えるのは、何ができるかではなく、何をすると人が面白がるか。
新しい技術を発明しなくても、既存技術を別の場所へ移せば、新しい商品になります。
使われない性能や機能を減らし、価格、丈夫さ、分かりやすさを守ります。
ラブテスターや通信対戦のように、機械そのものより、人が笑い、話し、競うきっかけを設計しました。
SELECTED WORKS
商品ジャンルは、機械玩具、エレクトリック玩具、業務用娯楽機、携帯ゲーム機へと大きく変化しました。しかし、身近な技術から分かりやすい遊びを作る姿勢は一貫しています。
伸縮する格子構造を、遠くの物をつかむ玩具へ。横井軍平の開発者人生の出発点です。
室内でバッティングを楽しめる小型ピッチングマシン。日常空間に遊びを持ち込みました。
電気の流れを測る仕組みを「愛情を測る遊び」に転換。技術より、二人が手をつなぐ体験を商品にしました。
電卓用液晶を使い、時計とゲームを一つに。携帯ゲームという新しい習慣を世界へ広げました。
薄い本体で上下左右を直感的に操作するための形。のちのゲーム操作の標準となりました。
カラーや高性能より、手頃な価格、丈夫さ、長い電池寿命を優先。世界的な携帯ゲーム機になりました。
AFTER NINTENDO
1996年、横井軍平は任天堂を退社し、株式会社コトを設立しました。目指していたのは、ゲーム機だけに限らない、人の暮らしを楽しくする商品開発でした。
つらいリハビリも、歩くたびに景色が変わる遊びにできれば、少し楽しく続けられるかもしれない。
株式会社コトが紹介するエピソードには、病院でリハビリをする子どもを見た横井が、訓練に遊びの要素を加える発想を語ったことが記されています。
横井軍平にとってエンターテインメントは、暇つぶしだけではありません。難しいこと、続けにくいこと、人を苦しませることを、少し前向きに変える力でもありました。
SOURCES
本ページは、以下の公開資料を入口として事実関係を整理し、文章を再構成しています。詳細や異なる見解については、各資料もあわせてご覧ください。