WHO WAS GUNPEI YOKOI?

横井軍平世界を変えた、玩具職人。

新しい技術を競うのではなく、すでにある技術の使い方を変える。機能を増やすのではなく、遊びの芯を見つける。横井軍平は、小さな発明から世界の遊び方を変えた開発者です。

PROFILE FILE 0011941—1997
横井
軍平
  • BORN1941年9月10日・京都市
  • WORK玩具開発者・技術者・ゲームクリエイター
  • CAREER任天堂 開発第一部部長/株式会社コト創業者
  • IDEA枯れた技術の水平思考
1966

暇つぶしの工作が、会社の未来を変えた。

任天堂で機械設備の保守を担当していた横井は、仕事の合間に伸び縮みする道具を作って遊んでいました。それを山内溥社長が見つけ、商品化を命じたことで「ウルトラハンド」が誕生します。

THREE FACES

ゲーム機の発明者、
だけではない。

横井軍平の仕事は、一人で機械を設計することだけではありませんでした。遊びのきっかけを見つけ、人を組み合わせ、価格や使いやすさまで含めて商品にする。その全体を考える開発者でした。

01 / INVENTOR

身近なものから、遊びを発明する。

伸縮する格子、検流計、電卓用液晶。すでに存在する仕組みを、別の見せ方と別の用途へ移し、新しい遊びに変えました。

02 / PRODUCER

アイデアと人を、組み合わせる。

開発第一部を率い、自らの発想だけでなく、若い才能や異なる専門を生かしてチームで商品を形にしました。

03 / CRAFTSMAN

性能より、触りたくなる理由を考える。

高性能であることよりも、分かりやすい、丈夫、安い、誰かと遊べることを重視しました。技術は目的ではなく、遊びを実現する手段でした。

LIFE & CAREER

横井軍平の、
人生。

玩具メーカーだった任天堂への入社から、携帯ゲーム機の世界的成功、そして独立まで。横井軍平の仕事は、会社と技術の変化の中で形を変え続けました。

1941

京都市に生まれる

子どもの頃から工作や鉄道模型に親しみ、手を動かして仕組みを作ることを好みました。

1965

任天堂へ入社

同志社大学工学部を卒業後、当時まだ花札やトランプを主力としていた任天堂に入社。工場設備の保守を担当します。

1966

ウルトラハンドが商品化

仕事の合間に作った伸縮玩具が山内溥社長の目に留まり、商品として大ヒット。横井は玩具開発を担当するようになります。

1960s—70s

エレクトリック玩具へ

ウルトラマシン、ラブテスター、光線銃などを開発。機械玩具から電気を使った遊びへ、任天堂の商品領域を広げました。

1980

ゲーム&ウオッチ

電卓用の液晶技術を携帯ゲームへ転用。薄く、安く、短時間で遊べる新しい市場を生み出しました。

1982—89

十字キーとゲームボーイ

薄い本体でも直感的に操作できる十字キーを考案。さらに、性能競争より価格・丈夫さ・電池寿命を優先したゲームボーイを世に送り出します。

1996

任天堂を退社し、株式会社コトを設立

大きな組織を離れ、もう一度小さなチームで自由な商品開発に取り組むため独立しました。

1997

56歳で死去

独立から約一年後、交通事故により死去。未完の仕事と開発思想は、任天堂、コト、そして多くの開発者へ受け継がれました。

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DEVELOPMENT PHILOSOPHY

枯れた技術の、
水平思考。

横井軍平を象徴する言葉です。「古い技術を使う」という意味だけではなく、十分に理解され安くなった技術を、別の用途へ移して新しい価値を作る考え方です。

YOKOI METHOD / 01

技術を
目的にしない。

まず考えるのは、何ができるかではなく、何をすると人が面白がるか。

使い方を変える

新しい技術を発明しなくても、既存技術を別の場所へ移せば、新しい商品になります。

いらないものを削る

使われない性能や機能を減らし、価格、丈夫さ、分かりやすさを守ります。

人と人の間に遊びを作る

ラブテスターや通信対戦のように、機械そのものより、人が笑い、話し、競うきっかけを設計しました。

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SELECTED WORKS

代表的な、
仕事。

商品ジャンルは、機械玩具、エレクトリック玩具、業務用娯楽機、携帯ゲーム機へと大きく変化しました。しかし、身近な技術から分かりやすい遊びを作る姿勢は一貫しています。

1966

ウルトラハンド

伸縮する格子構造を、遠くの物をつかむ玩具へ。横井軍平の開発者人生の出発点です。

MECHANICAL TOY
1960s

ウルトラマシン

室内でバッティングを楽しめる小型ピッチングマシン。日常空間に遊びを持ち込みました。

PLAY AT HOME
1969

ラブテスター

電気の流れを測る仕組みを「愛情を測る遊び」に転換。技術より、二人が手をつなぐ体験を商品にしました。

COMMUNICATION TOY
1980

ゲーム&ウオッチ

電卓用液晶を使い、時計とゲームを一つに。携帯ゲームという新しい習慣を世界へ広げました。

PORTABLE PLAY
1982

十字キー

薄い本体で上下左右を直感的に操作するための形。のちのゲーム操作の標準となりました。

INTERFACE
1989

ゲームボーイ

カラーや高性能より、手頃な価格、丈夫さ、長い電池寿命を優先。世界的な携帯ゲーム機になりました。

LONG-LIFE DESIGN

AFTER NINTENDO

遊びの力を、
もっと広い場所へ。

1996年、横井軍平は任天堂を退社し、株式会社コトを設立しました。目指していたのは、ゲーム機だけに限らない、人の暮らしを楽しくする商品開発でした。

つらいリハビリも、歩くたびに景色が変わる遊びにできれば、少し楽しく続けられるかもしれない。

「楽しい」は、娯楽だけのものではない。

株式会社コトが紹介するエピソードには、病院でリハビリをする子どもを見た横井が、訓練に遊びの要素を加える発想を語ったことが記されています。

横井軍平にとってエンターテインメントは、暇つぶしだけではありません。難しいこと、続けにくいこと、人を苦しませることを、少し前向きに変える力でもありました。

SOURCES

このページの、
参考資料。

本ページは、以下の公開資料を入口として事実関係を整理し、文章を再構成しています。詳細や異なる見解については、各資料もあわせてご覧ください。